言葉にすること
私の夢は今こうやって言葉にすることができるようになったけど
実はあんまり言いたくなくて
馬鹿にされたくなかったから、私の中で本当に大切なものだから
だから夢の話は分かってくれる人、分かってくれると思う人にしか話していなくて
でも私はまだどこか誰かに対しての諦めを持ちきれないところがあって
自分のことに関しては大体のことをある一定のところで諦めているのに、まだ人を信じたいと思うときがあって
でも話してみて、意思表示をしてみて、傷つくことばかり起きて
たくさん否定されてきたし、馬鹿にされてきた。叶うはずがない、到底無理だと言われてきた。
だから今更応援してるよと言われてもきっと嘘なんだって本当は思ってないでしょうって思ってしまう
でもそれでもいいと思うから話してます
たくさん話すから、馬鹿にしてくれていいし否定してくれていい。それが大きければ大きいほど、
最後に絶対見返してやるというパワーになるし、見返したときにほら見ろ!!!という瞬間にすっきりするんだろうなと思うので
さすがに、自分のわがままを正当化するための言い訳に私の夢を使われたときは心から怒って何もかもぶち壊してやろうと思ったけどね!
何とか思いとどまって私は私の夢に向かって頑張ることにしました
褒めてもらえたりとか、いつか私が作ったものを買いたいと言ってくださる温かい気持ちや期待が私を突き動かす原動力になっているのは間違い無いのですが、同じくらいに怒りや悔しさ、そんな人間らしくて禍々しい感情も私を動かすパワーになっています
きっともっと私が平和に生きていたとしたらこんなふうに駆り立てられるようにアクセサリーを作って生きたいとは思わなかっただろうしこんな過激な性格にもならなかったと思います
生まれたときから性格って決まってるらしいけどね、どうなんでしょうね
心を抉るような酷い言葉やマイナスな感情は自分を燃やすパワーに転換して、私に期待してくれる気持ちを裏切らないこと、優しくしてくださる方への感謝を伝えていくことを忘れないで生きていくこととします。
いい表現が思いつかないのですが、私は星みたいな人になりたいなと思っていて
光るために自分を燃やし続けて、消える寸前に一際強く光って消える、そんな人になりたいです
可愛く生きられないというコンプレックス
この“可愛い”ってすごく伝えるのが難しいのだけど
純粋な、とか無邪気な、とかそういうものに言い換えられるのかな
好きなグループの好きな動画って決まってメンバーみんながわちゃわちゃしてるもので
そういうのを見ていると、“可愛い”って思うんですよね
無邪気で心から楽しんで笑っていて、はしゃいでいて
自分にはきっと一生手に入れられない要素だと思っていて
人にもよく言われるし、私もすごく感じているけど、私って人生何回目なん?って思うんですよね
賢いとかそういうことではなくて、一回、といわず何回も、人生生きてきたやろ?っていうような
夢は見ているし目標もあるけど、全てにおいてある一定の諦めを持っていて
擦れた人間だろうなって、言われるし自分でも思っています
人間はいつか死ぬし、1日は24時間でその中で活動できる時間も決まっていて
自分の出来うる範囲から手を伸ばして、何とか届くかもしれないものが目標で届くか届かないかの境にあるのが夢だと思っているので、手を伸ばしたって届きようもない夢は持たないんですよね
具体的なことを言うのであれば、ステージに立ってパフォーマンスしている人たちは本当にかっこいい、羨ましいと思うけど、自分には決して出来ないから、やりたいとは思わない、そういう感覚で
どこまでが自分の見られる景色なのか、限られたものや時間の中でどう生きるかどう表現するか、と考えているので
この言葉が正解かどうかは分からないけど、私の考え方は諦めから始まっているのだと思います
ここでちょっと過激派発言を挟ませてもらうと
大人たちって子供に「可能性は無限大だよ!」って言葉をかけている印象があるんだけど、それってすごく無責任では?と思っていて
何も見えない暗闇に道しるべもなく放り出すような、そんな感覚がする
「あなたは〇〇が上手いから〇〇の才能もあると思う」という言葉が呪いになってしまうかもしれないからという考えなのかもしれないけど、私はそれよりもずっと無限大だと言われることの方が無責任だと思う
その上に、夢を見つけろ進路を決めろと言われる時期もあって
待って?可能性は無限大なのではなかった?無限大なら私は今頃ステージに立って輝くアーティストになれたかもしれないし、親がお金を持っていて一生困らないのでニートで大丈夫です!という人生を送れたかもしれないし、山のような選択肢を選び切ることなんて出来ないはずですが?と思うんですよね
好きなものだけでなく自分が持っているもの、頑張れば身につけることができるかもしれないものとそうではないものを考えることで初めて選択することができるはずだから
諦めってマイナスな言葉って思われているけどそうではなくて
諦めるからこそ自分の夢や目標の輪郭をはっきりさせることができると思っていて
私はいつか死ぬし、自分を作品として表現して生きていくことはできないと諦めた瞬間から、じゃあ限られた人生に何をして生きたいのか、どうやって表現したいのかを考えることができたから
擦れた人間だからこそ、不器用なくらい素直で、まっすぐな人が眩しく見えて好きなのかもしれないなって
でも自分が言葉やいろんなもので傷つけられてきたからこそ私は傷付けないようにしたいと思うから、いつだって大事な人にはまっすぐに向き合うし、嘘なく素直でいたくて、そうやって考え込みすぎて臆病にもなるし不器用で
この部分を無くしてしまったら私はきっと人間じゃなくなりそうだな
”可愛い“生き方をしている人を見るたびに、人生楽しそうで眩しくて羨ましいな、と思うくらいにはこの性格はコンプレックスで
見た目とかは可愛くしようと努力できるけど中身は変えられないし、自分は自分にしかなり得ないから仕方ない!と諦めて
だからこそ私は生きているし、私だけの夢を持って生きているんだとコンプレックスを抱えながら日々もがいています。
総じて考えすぎやねんな。わかる。
抑圧と爆発
私が感情を言葉にするのが苦手だと思ってきたことについて
誰のせいにしたわけでもなくて、こういう現実があって、それに対して私がどう対処してきたかという事実として受け止めてほしいし自分自身もそう受け止めたい、という文章です
小さい頃に、親に「あんたの唇ってくちばしみたいやなあ!」と言われて
きっと笑いというか、軽く放たれた言葉に対して、私は嫌だとかそんなこと言わないでよ!と言いたい感情で押しつぶされそうになりながらも、それを自覚することもできずに、言葉にもならずに、ただ「そっか私の唇はくちばしみたいで変なんだ」と思ってしまって
おりのように溜まった感情が少しずつ自分の中でかき混ぜられて、その間にどんどん言葉を覚えていって
ようやく大学生になって初めて、「くちばしなんて言わないで欲しかった」と言えるようになって
そのときに自分の感情を受け止めるのにも、受け止めて言葉にしてそれを相手に伝えるのにも、人の何倍もの時間がかかるということがわかりました
この事についてだけでなく、どんなことにも言えることで
だからクレームとかも真に受けちゃうんですよね、ああ私ってめちゃくちゃダメなんだって、失格なんだって思ってしまうんですよね
接客向いてないなあ〜
もっと自由にのびのびと生きていた小学生のころ、言いたい放題やりたい放題でまるでジャイアンのようになっていたし、いじめてきた子たちと和解しようとしているときに笑っている子がいたことをどうしても許すことができずに強い怒りから「一生笑うな」と言ってしまったし
そんな自分を強く恥じて、反省して、自分勝手に生きるのをやめようとおもって
この言動でどんな気持ちになるだろうか?相手が嫌な気持ちになりはしないだろうか?そう考えてから話すようになって会話のテンポがずれていったり、話すことが怖くて人見知りになっていったり
どう思っているのか言えと言われて、言えば言うほどに冷たい言葉が、聞きたくもない酷い言葉が重ねて私の心に刺さってくるたびに
私の感情なんて必要なかった、私の言葉なんて要らなかった。
私は人形のように、感情を無にして、ただただはい、と言えば良かった。
そんな瞬間をこの二十数年しか生きていない人生でもたくさん経験して
私は感情の起伏が激しくて
この言葉を聞いたときにこれだ!と思ったんですが、私の感情はすごく鮮やかだと思っていて
だから誰かの感情を受け取るときにも同じくらいの鮮やかさで受け取ってしまうから苦しくなるんだろうなと
鮮やかすぎるあまりにこの感情を無くすことなんてきっと出来ないので、でも私の感情が負の連鎖を巻き起こしてしまうこともよくわかってて
だから言葉にせずに内側に、心の奥の方に、沈めて押さえつけようとしてきて
自分の中に封印した感情をまたこじ開けて言葉にするということはすごくパワーがいるし苦しいし、怖い。
今でもそう思っています
自分の預かり知らぬところで起きた問題に対して、お前のせいだと言われて、振り回されて、責められて、苦しかった。
今どう思っているか言えと言われて、自分に考えうる解決策と、感情とを放つとまた心を刺す言葉を浴びせられて
何度も「私の意見も感情もいらない、子供という存在に収まっているのが私の役割だ」と言い聞かせてきたのになぜ学ばなかったのだろう。
なぜ誰も信じないと決めていたのに、弱った心を慰めるためだけに、助けてくれるかもしれないと思ってしまったのだろう。
私は強くなることなんて出来なかった、今でもまだずっと弱いままだった
自分が嫌いで仕方ない。
という最近の感情を整理するために言語化して置いておこうと思います。
こういう昔話的なものが最終的に辛かった話、可哀想なお涙頂戴的な話になるのはめちゃくちゃつまらんなと思うので
歪んでしまっていて、複雑でどうしようもないこの感情を抱えた私のままでめちゃくちゃ幸せになってやろうと思います!
ハッピーエンドは自分で掴み取るので!
抑圧されてきたのでもう次は爆発するしかない。
夢を貯めていく
人事異動?的なことがありまして新しい部署で浮きまくっています。
全然馴染めないけど今日も頑張ったので1時間しかない休憩にわざわざ遠くまで歩いて行って海鮮丼食べたったわ。
ほどほどに自分を甘やかさないとね
最近やっているのは、いつの日か(絶対に)店を開くときに使いたいパーツを少しずつ買い集めることで
パーツってほんっとに一生に一度の出会いで、特にヴィンテージのパーツとかは今買い逃しちゃうと
もう二度と手に入らないから今のうちから買って集めておこうと思った次第です
パーツを集めておくためのかわいい箱も今注文していて、大切な宝物を少しずつ貯めていって
私の中で夢をちゃんと温めて、技術を磨いて、芽が出るその日をじっと待とうと思います
じっと、ではないか、大暴れしながら待とうと思います!
鶴が機織りをするよりももっと速度感のある、ダイナミックな…と比喩を考えてみたけど
広い川に石を積んで橋をかけるように!着実に準備を重ねます!
かっこよさに欠ける。
ブランドロゴとかもひそかにイメージしたりして
でも今回は本当に本気だし、一生このブランド?というか屋号?みたいなものでやっていこうと思っているので
イメージを伝えて、デザインは大事な友達に任せたいかなとも思っています
そんなことを考えている時間がすごく楽しくて現実にいながら夢を見ているようなそんな感覚です
夢の話をすると現実を見てないとか逃げてるとか言われたりするのがすごく嫌で
うるせえこっちの夢は現実と地続きだし!夢も何もない人生ってつまらんわ!もっと激しく生きたいんじゃ!
って言いたくなりますよね。過激派
お金のこととかね考えるの苦手だし正直あんまり考えたくないけどそこはシビアに、逃げないで考えたいです
パーツを買い集めて、とかいうとたくさん買ってるように思うかもしれないけど同じものをたくさん買いすぎたりはしないようにしたくて
一つ一つのパーツに、アクセサリーに、心を込めて作りたいのでちゃんと向き合えるなと私が思うまでの個数しか買わないことにしています
アクセサリーだから、きっと同じものはもう一度作れるけど、私の中では同じではなくて
そのときの感情と、感情にもなりきれない私の中にあるものを全部かき混ぜて出来上がっているので
その一つずつが誰かの心に届いて、心を躍らせてくれたらいいなと
一生物作りして生きていたいし、先々にもっと規模が大きくなっても作るのは全部私がやりたいです。
たかがアクセサリー作りでしょうと思われるかもしれないけど、自分にしか生み出せないデザインを生み出すには私自身もっと魅力的でないといけないと思うので、もっと深みのある人間になるべく作ることだけに固執しないでいろんなものを取り込んでいきたい
この苛烈すぎる現状も私を深める要素の一つになると信じて
夢の中と現実の中の夢
最近感情がコントロールできてないなと感じたので
コントロールするためにも!とブログを書いてみることにしました。
In a dreamはオタ活のことday dreamは私の感情を整理するものにしていきたいなとおもいます
In〜のほうも更新していきたいという強い意志
最近の私はきっとネットの世界に投げるにはまだ重すぎる環境にいて、
もう笑い飛ばさなきゃやってられないよね!と言わんばかりに無理やりに笑って生きています
今のこの全てを、いつか笑って話せる日が来るように願いながら
楽しくないことばかりじゃないんです
毎日どん底みたいな気持ちで、正直毎秒消えてしまいたい気持ちにもなるけど
好きなグループが新しく更新してくれたyoutubeの動画が面白かったり、買ったスイーツが美味しかったり
そんな小さな幸せを思いながら生きています
思うしかないのかもしれない
私の性格的にというか、今までにもあったけど、どん底みたいな気持ちのときに
しっくりくる歌詞の曲に出会えると、またもう少し頑張ろうって思えて
自分なりに分析してみたんですが自分の感情を表すのが苦手で、特に言葉にすることがすごく苦手で。
それを代わりに言葉にしてメロディをつけて、強い力で発信してくれるから
自分の中にあるもやもやとしたものをちゃんと形にして表してくれるから、心が晴れるのかなって感じました
曲の全てがしっくりくるというよりも、ほんの一節、ほんの一言一行が私にとって薬のようなもので
最近の私には女王蜂さんの「聖戦」の“もう誰のことも信じられない”、「雛市」の“強く強く生きてゆかなきゃ 世の中が優しい日はひとつもなかった”という歌詞がすごく響いて、ああもう少し頑張ろう、生きていこうって思えるきっかけでした
って書くとこれだけが良かったみたいになっちゃうんですけど、そうではなくて、いろんな曲が本当に素敵で毎日元気をもらっていて
複合的な意味で、出会えて良かったなって思っています
自分で自分のことを追い詰めがちなので心を穏やかにしてくれるもの、救ってくれるもの、踊らせてくれるものをたくさん求めていて
きっと一つだけではここまでがむしゃらに生きていこうって思えてなくて
好きな曲があって、それを素敵にパフォーマンスしてくれるアーティストがいて、こんなに難解な心を持っている私にすら優しくしてくれる友達がいて、何よりも、キラキラ輝いている推しが存在してくれていて応援できる存在であってくれて、一緒に夢を追いかけられるからこそ、私は生きているのだと思います。
生きているだけで迷惑だろうけど。絶対に良い人間じゃないけど!それでも生きていたいので生きさせてくださいごめん!
って何を長々と語っているのかという気持ちですが
とりあえずこうやって考えてることをぼんやり書き連ねる日記みたいにしていこうと思うので良かったらどうぞ〜