抑圧と爆発
私が感情を言葉にするのが苦手だと思ってきたことについて
誰のせいにしたわけでもなくて、こういう現実があって、それに対して私がどう対処してきたかという事実として受け止めてほしいし自分自身もそう受け止めたい、という文章です
小さい頃に、親に「あんたの唇ってくちばしみたいやなあ!」と言われて
きっと笑いというか、軽く放たれた言葉に対して、私は嫌だとかそんなこと言わないでよ!と言いたい感情で押しつぶされそうになりながらも、それを自覚することもできずに、言葉にもならずに、ただ「そっか私の唇はくちばしみたいで変なんだ」と思ってしまって
おりのように溜まった感情が少しずつ自分の中でかき混ぜられて、その間にどんどん言葉を覚えていって
ようやく大学生になって初めて、「くちばしなんて言わないで欲しかった」と言えるようになって
そのときに自分の感情を受け止めるのにも、受け止めて言葉にしてそれを相手に伝えるのにも、人の何倍もの時間がかかるということがわかりました
この事についてだけでなく、どんなことにも言えることで
だからクレームとかも真に受けちゃうんですよね、ああ私ってめちゃくちゃダメなんだって、失格なんだって思ってしまうんですよね
接客向いてないなあ〜
もっと自由にのびのびと生きていた小学生のころ、言いたい放題やりたい放題でまるでジャイアンのようになっていたし、いじめてきた子たちと和解しようとしているときに笑っている子がいたことをどうしても許すことができずに強い怒りから「一生笑うな」と言ってしまったし
そんな自分を強く恥じて、反省して、自分勝手に生きるのをやめようとおもって
この言動でどんな気持ちになるだろうか?相手が嫌な気持ちになりはしないだろうか?そう考えてから話すようになって会話のテンポがずれていったり、話すことが怖くて人見知りになっていったり
どう思っているのか言えと言われて、言えば言うほどに冷たい言葉が、聞きたくもない酷い言葉が重ねて私の心に刺さってくるたびに
私の感情なんて必要なかった、私の言葉なんて要らなかった。
私は人形のように、感情を無にして、ただただはい、と言えば良かった。
そんな瞬間をこの二十数年しか生きていない人生でもたくさん経験して
私は感情の起伏が激しくて
この言葉を聞いたときにこれだ!と思ったんですが、私の感情はすごく鮮やかだと思っていて
だから誰かの感情を受け取るときにも同じくらいの鮮やかさで受け取ってしまうから苦しくなるんだろうなと
鮮やかすぎるあまりにこの感情を無くすことなんてきっと出来ないので、でも私の感情が負の連鎖を巻き起こしてしまうこともよくわかってて
だから言葉にせずに内側に、心の奥の方に、沈めて押さえつけようとしてきて
自分の中に封印した感情をまたこじ開けて言葉にするということはすごくパワーがいるし苦しいし、怖い。
今でもそう思っています
自分の預かり知らぬところで起きた問題に対して、お前のせいだと言われて、振り回されて、責められて、苦しかった。
今どう思っているか言えと言われて、自分に考えうる解決策と、感情とを放つとまた心を刺す言葉を浴びせられて
何度も「私の意見も感情もいらない、子供という存在に収まっているのが私の役割だ」と言い聞かせてきたのになぜ学ばなかったのだろう。
なぜ誰も信じないと決めていたのに、弱った心を慰めるためだけに、助けてくれるかもしれないと思ってしまったのだろう。
私は強くなることなんて出来なかった、今でもまだずっと弱いままだった
自分が嫌いで仕方ない。
という最近の感情を整理するために言語化して置いておこうと思います。
こういう昔話的なものが最終的に辛かった話、可哀想なお涙頂戴的な話になるのはめちゃくちゃつまらんなと思うので
歪んでしまっていて、複雑でどうしようもないこの感情を抱えた私のままでめちゃくちゃ幸せになってやろうと思います!
ハッピーエンドは自分で掴み取るので!
抑圧されてきたのでもう次は爆発するしかない。